日本環境変異原学会

放射線リスクWG作成

 

 

コラム

 ここでは、今回の大震災および原子力発電所の事故を受けて、日本環境変異原学会会員からのコメント、情報提供をコラムという形で提供させていただくことにしました。よって、ここに掲載された内容は会員個人の意見に基づくものであり、日本環境変異原学会としての意見ではないことをご了解の上、お読みください。(あわせて、学会員の皆様からの積極的な情報提供をお願いします。)

  • その1  天災は忘れた頃にやってくる (鈴木孝昌) 
       「天災は忘れた頃にやってくる」ということばの出典は物理化学者の中谷宇吉郎とされるが、その師が寺田寅彦であったことから、寺田の言葉とする説も多い。
      「防災」という言葉を作ったのも寺田とされる。今回の東北地方の津波被害は、まさに未曾有の大災害であるとされているが、歴史を紐解くと明治時代(1986年)にも「明治三陸地震」による大津波により、全く同じ地域に2万人を超える犠牲者が出ていたことがわかる。まさに、歴史が繰り返したわけである。
       その時の津波の最大の高さは、38.2mと今回を上回る。この時には、地震の震度が2-3と小さかったことから、津波に気がつかなかったせいもあるようだが、今回は大津波が予測されたにもかかわらずその時の教訓が生かされなかったわけである。
       明治の津波の後は、津波の到達地点に石碑をたて、そこより低い土地には住まないようにしていたようだが、やがて時の流れとともに忘れられ、便利さに負けて人々はだんだん平地へと移っていった。現在でも一部の地域では、この時の教訓を守って高台に集落をつくり被害を免れたそうだが、大多数はそうではなかった。
       津波自体は避けられない天災であるが、被害を拡大させたのは人災と言えるかもしれない。これは、福島の原発事故にもいえることかも知れない。
       日本は地理的条件からも、地震や台風、津波などの自然災害に常に見舞われ、過去に大きな被害を出しながらも、そのつど立ち直ってきたと言える。逆境に強い国民性もこうして培われたのかもしれない。
       しかし、文明の発達とともに近代化した社会は、今回の原発事故の例のように、災害に対して脆弱になっている。一部地域の災害の影響も、日本全土に広がってしまうというのは、過去にはなかったことかもしれない。その意味では、困難な時代を迎えているといえる。
       このあたりは、寺田寅彦の「天災と国防」という随筆にも詳しく述べられている。
       それでは、今大事なことは何か。過去の歴史をしっかりと分析して、今後の防災に役立てることだと感じる。
       原発事故による放射線被害に目を向ければ、しっかりとした防災対策が必要であることはいうまでもないが、風評被害を含め過剰に怖がることの弊害にも気をつけなければならない。
       寺田寅彦の言う、正しく怖がることの難しさを克服する為にも、過去の事例、原爆やチェルノブイリ事故での健康被害を科学的に検証して、現状のリスクを定量的に分析することが重要な課題であるといえる。
       その意味でも、本HPにて提供される情報がその一助となることを願っている。(つづく)
      (参考情報)
    • 失敗知識データベース 失敗百選
    • 青空文庫 「天災と国防」 寺田寅彦