会長挨拶
- 山添 康 (2010-2011年度会長)
- 八木 孝司 (2008-2009年度会長)
- 若林 敬二 (2006-2007年度会長)
八木 孝司 (2008-2009年度会長)
日本環境変異原学会は、人間・生物・地球環境における変異原、とくに公衆の健康に重大な関係を有する変異原とこれに関連する基礎研究の推進、ならびに関連情報・技術の伝達を目的として、1972年に創設された学会です。環境変異原とは環境中に存在する突然変異を起こす因子のことで、化学変異原と物理変異原があります。本学会の研究内容は食事・大気・水などに含まれる未知の変異原物質・人体影響物質の探索、大気・河川水・土壌など環境中に存在する変異原物質の測定、個々の変異原の作用メカニズム・発がんメカニズムなどの解明、ヒト個体間および動物種間における変異原感受性の違いの要因の解明、環境変異原物質の複合効果の解明、環境変異原物質の生態系への影響の解明、食品・医薬品や新しい化学製品の安全性の確認、安全性試験法の開発と改良、環境変異原のヒトへの発がんリスク評価などに及んでいます。化学物質の安全基準値の決定や遺伝毒性試験法の確立など行政とも深く関わっています。
一例ですが、本学会会員の研究から、これまでに次のような大きな成果が出ています。食品添加物AF-2の変異原性の証明(近藤宗平・賀田恒夫ら)、加熱食品中の変異原物質ヘテロサイクリックアミンの発見(杉村隆・長尾美奈子ら)、染色体異常を指標とした変異原物質検出法の開発(石館基、祖父尼俊雄ら)、変異原物質の代謝活性化機構の解明(加藤隆一、鎌滝哲也ら)、大気中の変異原物質の同定(常磐寛、大西克成ら)、環境変異原物質吸着剤ブルーレーヨンの開発(早津彦哉ら)、DNAの酸化損傷8-ヒドロキシグアニンの発見(西村暹、葛西宏ら)。
このような輝かしい歴史の上に、いま日本環境変異原学会はさらなる発展に取り組んでいます。その背景にはまず環境影響研究領域の拡大と、ヒトゲノム解明などに基づく分子レベルの研究法の進展があります。現在の日本の環境は低濃度で他種類の物質によって汚染しています。かつての水俣病、イタイイタイ病、近年では記憶に新しいアスベスト中皮腫など、公害型の人体影響は日本ではほとんどなくなり、日本の環境はきれいになったといわれています。しかし国立がんセンターの統計によれば、がんに罹る率(高齢化の影響を除いた年齢調整罹患率)の1975年以来の推移は胃がんと子宮がんを除いて、ほとんど横ばいか、肺がん、前立腺がん、乳がん、卵巣がんなど多くのがんで増え続けています。年齢を限定して全がんの罹患率を1980年と2000年とで比較すると、男性では60歳代以上で、女性では40歳代以上で増えています。がんの原因の大部分は環境要因であると考えられており、環境やライフスタイルの変化に伴う、体内へ取り込まれる物質(これには食品中の自然の成分も含まれます)の種類と量の変化が、がんの増加に関わっていると考えられます。これらのことから、環境変異原の研究は単一の化学物質の遺伝子突然変異に限らず、さらに他の要因をも考慮して発がんへ至る過程を考えるべきであることを示しています。
いま考えるべきその要因の1つに化学物質による遺伝子発現のかく乱があります。近年のエストロゲンやダイオキシン類を中心とした内分泌攪乱物質研究の勃興以前から、我々は化学物質の変異原性と催奇形性をオーバーラップした機構による性質として捉えてきました。ほ乳類細胞には約50種類の核内受容体が存在し、それらのリガンドとなる化学物質が環境中に存在します。それらはアゴニストあるいはアンタゴニストとして機能し、本来のリガンドと受容体によるべき転写を促進させたり抑制したりします。たとえばタモキシフェンがエストロゲン受容体のリガンドになり、かつDNAに付加体を形成するという2つの作用を考えると、突然変異を起こしたエストロゲン応答性細胞が増殖促進させられることによってがん化が導かれると説明づけられます。これは以前から知られている、がん化のイニシエーションとプロモーション仮説と同じことです。このような作用は、タモキシフェンのように1つの物質が持つこともあれば、環境中のいくつかの物質による複合効果によることもあります。このように環境化学物質によるがん化の解明に限っても、変異原性だけにとどまっていては限界があり、まして化学物質による生体影響を総合的に解明するためには、遺伝子発現の網羅的解析のような斬新な方法の開拓や関連する他学会との連携も求められます。化学物質による遺伝子発現変化によって起こる形質変化は、そもそも環境変異と呼ばれる現象です。環境変異の原因としての環境変異原、特にエピジェネティックな遺伝子発現変化を起こす環境変異原(Epimutagen)も、本学会の研究対象の1つとみることができます。
本学会の発展のためのもう1つの取り組みはアジア諸国との連携です。現在、韓国・中国・インドなど、アジア諸国の経済発展はめざましく、それに伴ってアジア諸国の環境変異原研究は質・量共に増大しています。本学会はアジア各国の手本となるべく、さらなる研究レベルの向上に努め、アジア各国の研究者に研究の情報や技術を提供していかなければなりません。また経済発展の代償のようにアジア各国では環境汚染が進み、その影響が日本にまで及んでいます。そのためアジア各国の変異原学会と連携して、研究交流・協力を行う必要があります。昨年は小倉で第1回アジア環境変異原学会大会が開かれましたが、2年後にはタイのアユタヤにて第2回大会が開かれる予定です。本学会は第2回大会が成功するよう支援します。一昨年、学会機関誌はGenes & Environmentとして英文化されましたが、そのレベルアップを図り、これがアジア変異原学会の機関誌となるよう努力するつもりです。
以上述べた事柄に本学会の会員は一丸となって取り組んでおり、今、その研究は質・量共に向上し、ますます活気溢れる学会になっています。この分野に興味をお持ちの大学、研究機関、企業などの研究者で、まだ会員になっておられないかたはぜひご入会ください。心から歓迎申し上げます。
若林 敬二 (2006-2007年度会長)
平成18年の我が国のがんの総死亡者数は329,314人にもなります。がんは遺伝子の病気で、その発生には多くのgenetic 及びepigeneticな変化が関与しています。すなわち、正常細胞ががん細胞に変化するためには多くの段階があり、多くの遺伝子変化の蓄積が必要です。言い換えれば、私たちの身の回りにある多くの発がん因子が各々に作用しあって、がん発生に関与する数多くの遺伝子を長い年月をかけて少しずつ傷害し続けた結果、がんが発生してくるものと考えられます。職業がんや、感染が原因となっているがんは、それらの因果関係が多くの場合明らかにされています。しかし、その他の大部分のがんの発生にどのような要因が関与しているかについては、ほとんどわかっていないのが現状です。例えば、膵臓がんで高頻度に認められるK-rasの変異を引き起こす要因は未だに明らかにされていません。
我が国には伝統的な化学発がんの歴史があります。1915年、山極勝三郎博士がウサギの耳にコールタールを塗り、世界で初めて動物にがんを作ることに成功しました。1932年には吉田富三博士等がオルト-アミノアゾトルオールを飼料に混ぜてラットに投与し、肝臓にがんを作りました。更に1957年に、中原和郎博士等は変異原性を有する4-ニトロキノリン1-オキシド(4NQO)をマウスの皮膚に塗布すると発がんすることを証明しました。その後、杉村隆博士等は1966~67年に変異原物質であるN-メチル-N'-ニトロ-N-ニトロソグアニジン(MNNG)をラットに皮下注射して肉腫を発生させるとともに、MNNGを含む飲料水をラットに投与することで、胃がんを誘発させることに成功しました。これらの成果は変異原物質と発がん物質との関連性を示し、発がんが遺伝子の変化によることを示唆した先駆的な業績でした。
このような歴史を背景にして、日本環境変異原学会が1972年に創設されました。その翌年(1973年)には、食品防腐剤のニトロフラン誘導体AF-2の変異原性が近藤宗平博士、賀田恒夫博士により報告され、その後、発がん性が証明されて使用禁止になりました。更に、多くの優れた業績が本学会から生まれています。それらのいくつかを以下に示します。
- AF-2の突然変異原性の証明
- 加熱食品中の変異・がん原性ヘテロサイクリックアミンの発見
- 染色体異常を指標としたがん原物質の検出法の開発
- 環境変異原・がん原物質の代謝活性化機構
- 大気中の変異原性汚染物質の同定
- ブルーコットン、ブルーレーヨンの開発
- DNAの酸化的傷害により生ずる8-OH-dGの同定
日本環境変異原学会の会則第2章には「本会は人間・生物・地球環境における変異原、とくに公衆の健康に重大な関係を有する変異原とこれに関連する基礎研究の推進、ならびに関連情報・技術の伝達を目的とする。」とあります。前述しましたように、ヒトがんの誘発にどのような環境要因が係わっているかについては未解明の部分が多くあります。しかし、がんのリスク要因を低減化するためには、これらの要因とその発がん機構を一つ一つ解明するとともに、多種多様の発がん要因を総合的見地から把握することが必要です。食事、大気や水などに含まれる未知の変異原・がん原物質の検索及びそれらの発がん機構、生体内で生成される発がん要因の同定、アスベストの曝露及びその発がん機構、新しい化学製品の安全性、発がん感受性要因、環境変異原・がん原物質のヒト発がんに対するリスクなど、本学会が中心となって解決しなければならない研究課題は多くあります。韓国、中国などのアジア諸国でも同様な問題を抱えているものと思われます。本学会の理事及び評議員とが問題意識を共有し、会員と協力して活気のある前向きな学会にしていきたいと考えています。
